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時は今!
えらい早く目覚めたから久々に父からのメッセージを読み返した
父が他界して一年過ぎた頃、授乳中に突然くれたメッセージ、、
その時のわたしは兎に角毎日必死で、寝る前には必ず「今日も無事に過ぎた」と1日1日クリアすることで精一杯、、
そんな時にくれた言葉、、

死人からのメッセージ?なにそれ?
って思われる方もいるやろなあww
だって、わたしがそーだったからww
まさか、自分の父から、それもあの世からメッセージがくるなんて想像もしてなかった

それなのに、このメッセージが入ってきた時、そりゃそりゃリアルで、普通に父の声質だったから驚くより先に嬉しさが勝って、兎に角ただ忘れちゃいかんと書き綴った
涙がとまらんやった
授乳中だったもんで、不思議そうに吸い付く娘がこれまたたまらん気持ちにさせた

その日からこのメッセージは折々にわたしをわたしに立ち戻らせてくれるかけがえのない言葉になった

今日読んだ

また違う響きで胸を叩いた

んで、気がついた

この4年絶えず歌を口ずさんでくれたのは、ワタシではなく娘だったこと、、、

涙が溢れてとまらん


2011年10月13日

「あゆこ
人間の価値はエネルギーの大小じゃないぞ。
自分のエネルギーが心地よく周囲の人、物、自然と調和しているかどうかが一番大切なんだ。
調和するにはまず自分が発しているエネルギーを完全に信頼することだ。
そうすれば、いい音楽が奏でられる。
その音楽に共鳴して人や物は自然にひきつけあう。
調和、これが何より大切なんだ。
だから、いつも自分自身が調和しているかどうか、心地よいリズムを創っているかを意識しなさい。
もしリズムがとれていないと感じたら、好きな歌を口ずさみなさい。
歌なんて歌えないというきついときにこそ実行しなさい。

ここで気をつけてほしい事がある。
もし自分が奏でる音楽にどうしても合わない人や物を周囲に感じたら
たとえ、それが今までは合っていたものであっても
無理に合わせようとせずに、自分のリズムを保ちなさい。
物であるならば処分しなさい。
人ならば距離をおきなさい。

もう一度言う。
調和だぞ。

全てのものからエネルギーが発せられている。

それをもっと意識しろ。

そして慈しみなさい。」


昨日、草場さんの陶彩画を観にエルガーラへ足を運んだ


娘への誕生日プレゼントとして買った

《かがやいてる》

草場さんから頂いた娘へのメッセージ

《未来は希望にみちています》

そして釘付けになった

《時は今》



過去、現在、未来が溶け合う

時間軸を超えた《今》


合掌、、、

















| Phrases | 04:38 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
玉ねぎから子育てへ
玉ねぎ。


畑で植えてみたものの、なんてゆーか不自然さ、気持ち悪さがつきまとう。

『この植え方はなんかちがーう!!』

と、思いながらも素人のわたしは他に方法も思いつかず、首をかしげながらひとまず植えて終了。

気持ち悪い感覚を引きずりながら帰宅したら友人から電話。

これは!
と早速玉ねぎね植え方を聞いてみた。
彼女もつい最近、一緒に畑やってるご主人から玉ねぎね植え方の指摘をうけたばかりだと大笑いしながらレクチャーしてくれた。

その伝授して頂いた方法の、美しさといったら、、。
無駄なく、無理がない。

土の微生物を生かし、
自然の営みの流れにちょっとお邪魔します、とでもいうようなその植え方。
なんて美しくて優しいんだろう、、

翌日『今の畑最高!みにおいでー』
彼女が畑に連れてってくれた。
先生と数人でやってる都会の住宅地の片隅にある自然農畑。

見た瞬間、あまりの美しさに鳥肌。

端から端まで緑、緑、緑!!!

隙間なく育っている
大根と白菜の緑の綺麗さったら、、。

わさび菜や水菜、九条ネギが隙間隙間に
所狭しと並んでいる。

そのひしめき具合は
慣行栽培ではありえない。

『こんなびっしりで育つんだ、、』

『びっしりだから育つんよ』

肥料が行き届くように、根が育つように、
間隔をあけて整列。

そんな常識が全く通じない。

土そのものが生きている
微生物も虫も土壌菌もみーんなが
共生しているこの畑では、
そんな配慮は無用。

けれど、美しい。
野菜が伸び伸びとイキイキと喜んでいる
その姿が、たまらなく美しい。

種の蒔き方も
苗の植え方も
土が主役で、土が最優先。

土がストレスなく健やかに育っていれば
野菜は育つ。
勝手に育つ。

本質をいかに壊さず育てるか
それがそのまま、彼らの美しさ、を養う。

シュタイナーの本質と繋がる、、。


自然に逆らわずこの地球上にある素材を循環させるだけで、全てが事足りることの美しさ、、。


手はかけない。
けれど
目は目一杯かける

毎日毎日観察して、本当に必要なところだけそっと手を入れる、、、

自然農の在り方、、


これが、どれだけ難しいことか、、。

手を入れるほうがうんと楽ちんだ。

オルトランまいて、肥料いれて、
耕して、、
一時の間は、それでうまくいく。
でもやめたら、虫がわく。
菌が死んでいる土壌には病気がはびこる。
そして薬剤に肥料、、
同じことが繰り返される。
土はどんどん痩せていく、、。

根を焼いてしまう化学肥料から逃げようと
根はそれより深く深く地中にいく。
その連動で実は肥大する。
中身はスカスカの野菜。

土壌に全ての答えがある。


一年前畑を始めたのは、無農薬、無化学肥料で野菜を作ってみたかった。
特に自然農へのこだわりがあるわけでもなかった。
カラダの不思議を探っていく延長線上に畑があった。
土=腸
に見えて仕方ないわたし達が、それを確かめたくて始めたよーなものだ。
科学の実験のような感覚だった。

耕さなくても
肥料がなくても
ほんとに出来るのか?

それがまず初めに抱いた疑問であり
好奇心。

そんな私達の疑問を笑い飛ばすように土は日に日に肥えていき野菜はしっかり育っていく。

一つ一つ野菜が出来る度に、
疑問が確信に変わる。

確信に変わるごとに、

地球上全ての元素が何一つ欠けることなく全てが調和している、ことを知る。

なんどもなんども知る。

つまりは、

私達人間は、明らかに

生きているのではなく

生かされっぱなしだということを

知る。


その度に
肝っ玉母ちゃんから
『何度言ったらわかるんね?』
と怒られてる気分になるw

でも、すっごく暖かい。。


私達母という生き物は、
ここから子育てに話が流れる(笑)

『ここは10倍楽しくて
10倍難しくて
10倍面白い!』

ある不登校の子があるフリースクールに転入し発した言葉から話が展開する。

目を輝かして毎日登校する娘に
ほっとして涙するお母様の姿、、。

『ここに来てよかった、、』

その言葉の重みは如何程か、、。

『後先考えずただ今の娘に寄り添おう』と覚悟してそこを選択されたという。

覚悟

腹を決めたらあとは野となれ山となれ

そんな心積もりで生きてる親ってのは
強い。


『子供たちが可愛くて可愛くてしょうがないのよー。』

満面の笑顔でそう言える教師と出会える子供たちは幸せだ。


キラキラしたオトナが
教えることを目一杯愉しんでいる
その空間が、楽しくないわけがない。

不平不満を募らせてイライラしたオトナが伝える空間が楽しいわけがない。


どの学校にするか、とか
何の習い事させるか、とか

勿論大切なのだけど、

それ以前に、

親であるワタシが

大人であるワタシが

キラキラしているか

命を味わい尽くしてるか

それって土壌だね、、、

と。

やっぱ、子供じゃないね、、

問題は、親だねと、、。(笑)



『痛いね〜〜』

『かなり痛いね〜』

『でもこの痛みには鈍感になりたくないねー』

『そーやねー』


玉ねぎから子育てへww

母ちゃんのトークはキリがない(笑)



















| Body,mind & spirits | 05:53 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
摂食障害2
この記事をUPしたのは二年前。

http://yogarhythm.jugem.jp/?eid=389

タイトルがどストレートすぎたのか閲覧数がダントツに多く少し驚きました。

『摂食障害』に悩んでる人が多いのか私がそうであったことが気になられるのかはわかりませんがww
何かしらこのワードが引っかかるってことは確かだと思います。

実際この二年、メールを数名の方から頂き、メール上でやり取りをさせて頂きました。
プライベートな事なので詳細には触れませんがどの方も摂食障害歴が長く生活の一部として組み込まれていてそこからの脱却に難しさを感じておいででした。

私は精神科医でもないし、心理学者でもありませんからプライベートなご相談に対して個別に的確なアドバイスが出来るとは思えません。

ですから共通にみなさんにお伝えさせて頂いたのは
『ココロへのアプローチ』
『カラダへのアプローチ』
どちらもやってみては如何でしょう、、ということでした。

記事にも書いていますが、ヨガ、呼吸法、食を見直すことを始めて摂食障害のいわゆる症状はなくなりました。
私が28歳の時です。
ステロイドの離脱時と重なります。
ステロイドという薬との決別が自己治癒力を高めホルモンバランス等の機能が回復しホメオスタシスが正常に戻ったこと、また、ライフスタイルが大幅に変わったことも要因の一つだと思います。

これを治癒といってもよいのかもしれません。

ただ、私の中で何かが完結していない未消化感が常にありました。
ホメオパシーを学び始めてそれはさらに確信につながりました。

そして記事に書いてある通り、2012年に母との対峙の中に紐解く結び目を見つけ、完結に至りました。
さらに遡れば、2005年から数年間は長きに渡り親との関係性だけでなく対社会、非自己への葛藤の日々が続き、今思えばそれも土壌作りに一役かってくれたのかもしれません。

私に関して言えば
ヨガなどの身体、ココロへのアプローチも、ココロの部分だけを独立させて更に観察していくアプローチもどちらも必要だったということになります。

生活の一部として摂食障害が組み込まれている場合は尚更表面的な変化では足らず、大々的なカラダとココロの変革が必要とも言えます。

人それぞれ原因も根の深さも違います。

治癒の方法に正解はありません。

これをしたから、治る

のではなく、

何かしらの方法がたまたま治癒のスイッチをいれる

に過ぎないと思っています。

だからこそ

治らない

と決めつけて蓋をしめてしまうのはもったいないと思うのです。

あらゆるところに治癒のきっかけが潜んでいるし、幸せに健やかに生きていく鍵もまたあちらこちらに点在しています。

これしかない

という決めつけで閉じられた世界を作るより

開かれた空間にカラダとココロを身を置く心地よさに委ねることが治癒への第一歩かもしれません。









| Body,mind & spirits | 18:14 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
深謝、、
ハタヨガに出会ったのが20年前。アシュタンガヨガに出会ったのは12年前。
おざなりにしていた事柄の絡まった結び目を始点から再びほどいていくきっかけをくれたのがヨガでした。

私という人間をかろうじて支えていた底辺が覆され、否応無く再構築する他術がなく、そこにおいて『ワタシ』という認識の私は限りなく小さくなるしかない、、そのある一点の時間と空間、、、

それは決して物悲しい心持ちではなく、静かでシンとした水面に波紋が浮かびゆっくりと広がる心地よさの中にあらゆる感情が内包されていることを恥ずかしながら初めて知った時でした。

同時にワタシという肉体、DNAが『日本』という土地の所有された固定種であり、そこに『女性』という性が加わり、当たり前のことですが、自分が『日本の女性』である、という概念が懐に収まった時でもありました。

そこに至るまでの知恵、ヒント、チャンス、契機、を下さった人生の師と言える方々(故人含め)との出会いなければ、今の私はおらず、否、もしかしたら、私の存在そのものもなかったかもしれない、と言葉の勢いではなく御心のままそう感じています。

包み隠さずただ誠実にお伝えしていくことが私流のご恩返し。
そんな心境です(^_^)

| - | 09:37 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ヤマトナデシコ!
警固にあるヨガスタジオUNIVAさんでヨガクラスを始めて一ヶ月が経ちました(^_^)

軸は

『緩める』
『暖める』
『整える』

私自身がこの10年で『ゆるめる』『あたためる』『ととのえる』恩恵をたっぷり頂きましたから、その素晴らしさを僅かでも分かち合えたら、、という気持ちで毎回愉しくレッスンさせていただいています。

軸を支えている基盤は
『女性であること』
『日本人であること』

時代遡り、かつてのヤマトナデシコ、日本を支えた女性の身体能力の高さは、安定し、且つ、柔軟な中心軸のしなやかさ故。

何も特別なことをしていたわけでもなく、ましてや筋トレなんて言わずもがな。

山のような仕事をこなしつつ、多産し、育児し、家庭を支えていたヤマトナデシコ。

そんな彼女達を現代の視点から眺めると、たいそう強いられ、苦しい生活を余儀無くされていた、女性軽視の時代だったとつい解釈しがちですが、事実は、そうとも言えないそうです。
実に活力溢れ笑顔溢れる日々をイキイキと生き抜いていた、、と。
生活の苦しさとココロの苦しさは決して正比例するものではないことを、彼女達は教えてくれます。当時の彼女達の身体能力の高さを知るにつけ「男性」「女性」の定義、その時代に確立されていた前提そのものが寧ろ今よりもより自然の営みに沿っていたのではないかとすら感じます。
少なからずそこに歓びがあり、それを完遂するだけの身体の底力があったからこそ多産育児という偉業をこなしてこれたはずですから、、。

そこに、現代の私達が見習うべきヒントがそれはそれは沢山散りばめられています。

そのヤマトナデシコの身体力と切っても切れない着物文化。
「布目と布目を合わせ、直線の着物をいかに曲線の身体に沿わせるか」
軸がなければ着崩れしますから、着物で生活することそのものがアライメントを整えることに。
現代ではあえて鍛えなければ出来ないことを、日々当たり前の生活の中で行っていたわけですから、私達とは違って当然ですね、、。

オモテは柔らかな脂肪と適度な筋肉、内側は強靭でしなやかな深層筋肉、それが椎骨をしっかりサポートし、上からのエネルギー、下からのエネルギーを流す軸が太く貫く、、。
外側は極めて柔らかく緩んでいるため、
血流は末端まで流れやすく身体は暖かい。
立ち姿、後姿が美しい、ということは、エネルギーが隅々までゆき届いていた証。

そんな着物に魅せられ、妊娠前はよく袖を通していました。
着物を着ると所作、振る舞いが軸から発することになるので、身体感覚が自ずと広がっていくのを感じます。

話がヤマトナデシコに終始してしまいましたが、ヨガクラスでは、そんなヤマトナデシコの身体感覚を75分の短い時間の中で僅かながらでも体感できれば、、という思いで構成しています。

ゆるめること=簡単
ではありませんww
相反する様ですが、ゆるめる道程でダルさ、重さ、ギスギス感、違和感、一時的な便秘、あるいは下痢、、など不愉快な事象が起こる場合もあります。

カラダの要である骨盤そのものが緩み、整う過程ですからそういった違和感は不可避ですw
ですが、骨盤をゆるめることで起きた不具合は決して長引きません。
表層の筋肉を無理に動かすことによって起こる過度な筋肉痛はカラダにとって負担になりますが、表層を緩め暖め、深層部を鍛えていく過程では同種の筋肉痛にはなりません。

極端な変化ではありませんが、ボディブローのようにじわりじわりと身体があるべき姿に戻る微細な変化にココロを委ねるのはとても心地がよいものです(^_^)

身体の表層が緩まれば緩まるほど
体の奥では相反する力が働き、
軸を形成しようと働きかけ

本来の

『体幹』が生まれ

柳の枝のようにしなる体に変化していく、、


そんな変化を共に分かち合えれば嬉しいです(^。^)


| Body,mind & spirits | 02:25 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
母の現状
父の他界前の母の状態と比べると、彼女はずいぶんと変化しました。
毎日生活を共にしているとそんな彼女の頑張りを見落としきちんと評価することなく
育児の方に重きを置いている自分がいることに気が付きます。
もっと彼女を激励すべきです!

毎朝身支度をきちんと整えてからリビングに来て「おはよう!」とあいさつをします。
ご飯を食べ終わったら「ごちそうさま」といい、「おいしかったわ。」という言葉まで添えてくれます。

自分の力で動こうという気持ちが欠如し
二言目には父か私の名を呼んで助けを求めていた母が、できることは自分でしようという姿勢に変わったことは
よくよく考えると奇跡的な変化なのではないでしょうか・・・・

記憶の方は、おそらくほとんど蓄積する能力を失っているのでしょう。
昼には食べた朝ごはんのことも忘れていますし、日にちの感覚も時間の感覚も大幅にずれています。
今日、「あゆちゃん、今日は2月の何日かしら?」と聞かれましから・・・(笑)

でも、だからこその恩恵なのか、
彼女は記憶にある昔の出来事、とくに嬉しかったり楽しかった出来事、をほんの2,3日前の出来事のように
話します。
その時、彼女の表情はとてもイキイキしていて、認知症の人間だとはおおよそ判断が付かないほとの滑舌の良さを
発揮します。

私たち健常者は、ついつい過去のいやな記憶に左右されたりひきずったりしがちですが、母にはそんなあほらしい行為をするつもりもないようでほんとうらやましくも思うのです。
自分がしでかした過去のいやな記憶は毛頭引っ張り出すつもりもない様子です(笑)

以前はそうこの部分!
このいやな記憶を全くおもいださない母のこの部分に何とも解せないいらだたしさが募ったもんです。
あきらめなのか、慣れなのか、いまじゃ彼女のこの部分に癒されちゃったりしている私がいます。
不思議なことに、母が生きている世界の記憶は、結婚前のいけばな講師として頑張っていたころの記憶で、
父と結婚してからの記憶は不思議なくらい忘却されています。
ですから、父とのエピソードは勿論、私という娘を育児した記憶もほとんど持っていないんですね・・・・
父も私もその程度の存在だったんでしょうかね・・(笑)
いやいや!
結婚後の日々は、思い出す必要がないほどに完全燃焼したってことなんだろうと、娘として解釈しています。

一時期大荒れだった私の母に対しての葛藤が薄れ、今の母を新しい母の常態として受容できたことは
何より私自身の心の平安をもたらしてくれました。

生きる、ってことは常に変化すること

この変化を拒むと痛みが生じ苦悩が生まれる

ってことを、私は母から、そして娘から毎日教えてもらっている気がします。

その点で、私は家族の中で一番の落第生であります・・・・

そう、母の変化、娘の変化を受容するということは、
とどのつまり、
今の自分を受容するってことなんですよね・・・・


過去に生きてしまっている自分に

今、とほほの嵐が苦笑いとともにやってきました・・・(笑)






 
| Care&Heal  -介護- | 04:09 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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