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母の現状
父の他界前の母の状態と比べると、彼女はずいぶんと変化しました。
毎日生活を共にしているとそんな彼女の頑張りを見落としきちんと評価することなく
育児の方に重きを置いている自分がいることに気が付きます。
もっと彼女を激励すべきです!

毎朝身支度をきちんと整えてからリビングに来て「おはよう!」とあいさつをします。
ご飯を食べ終わったら「ごちそうさま」といい、「おいしかったわ。」という言葉まで添えてくれます。

自分の力で動こうという気持ちが欠如し
二言目には父か私の名を呼んで助けを求めていた母が、できることは自分でしようという姿勢に変わったことは
よくよく考えると奇跡的な変化なのではないでしょうか・・・・

記憶の方は、おそらくほとんど蓄積する能力を失っているのでしょう。
昼には食べた朝ごはんのことも忘れていますし、日にちの感覚も時間の感覚も大幅にずれています。
今日、「あゆちゃん、今日は2月の何日かしら?」と聞かれましから・・・(笑)

でも、だからこその恩恵なのか、
彼女は記憶にある昔の出来事、とくに嬉しかったり楽しかった出来事、をほんの2,3日前の出来事のように
話します。
その時、彼女の表情はとてもイキイキしていて、認知症の人間だとはおおよそ判断が付かないほとの滑舌の良さを
発揮します。

私たち健常者は、ついつい過去のいやな記憶に左右されたりひきずったりしがちですが、母にはそんなあほらしい行為をするつもりもないようでほんとうらやましくも思うのです。
自分がしでかした過去のいやな記憶は毛頭引っ張り出すつもりもない様子です(笑)

以前はそうこの部分!
このいやな記憶を全くおもいださない母のこの部分に何とも解せないいらだたしさが募ったもんです。
あきらめなのか、慣れなのか、いまじゃ彼女のこの部分に癒されちゃったりしている私がいます。
不思議なことに、母が生きている世界の記憶は、結婚前のいけばな講師として頑張っていたころの記憶で、
父と結婚してからの記憶は不思議なくらい忘却されています。
ですから、父とのエピソードは勿論、私という娘を育児した記憶もほとんど持っていないんですね・・・・
父も私もその程度の存在だったんでしょうかね・・(笑)
いやいや!
結婚後の日々は、思い出す必要がないほどに完全燃焼したってことなんだろうと、娘として解釈しています。

一時期大荒れだった私の母に対しての葛藤が薄れ、今の母を新しい母の常態として受容できたことは
何より私自身の心の平安をもたらしてくれました。

生きる、ってことは常に変化すること

この変化を拒むと痛みが生じ苦悩が生まれる

ってことを、私は母から、そして娘から毎日教えてもらっている気がします。

その点で、私は家族の中で一番の落第生であります・・・・

そう、母の変化、娘の変化を受容するということは、
とどのつまり、
今の自分を受容するってことなんですよね・・・・


過去に生きてしまっている自分に

今、とほほの嵐が苦笑いとともにやってきました・・・(笑)






 
| Care&Heal  -介護- | 04:09 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
母の毎日

大腿骨骨折後、今のデイケアセンターに移って1年半ほどたちました。
母にはとても合っているようで毎朝笑顔で出発していきます。
自分で洋服を着替えることも出来なかった(というよりしなかった)母が、今では毎朝定時に自分で
起床し顔を洗い身支度を整えていますから驚きです。
今年から一日追加し、計週四日、9時にお迎えのバスで出発し、4時半に帰ってきます。
デイケアから帰ってきた日は、とにかく元気がいい!
笑顔も多く、言葉も沢山出てきて時々「お?!!!戻ったのかい?」と思うほど。

学校や幼稚園と同じで、周囲から沢山刺激を受けて、それが脳にいい影響を及ぼしているんだと思います。
日によって変わるみたいですが、マッサージを受けたり、脚力をつける機器を使って運動したり、人それぞれの状態に合わせて組み合わせたプログラムをこなした後に、昼食をとり、入浴もしてくれます。
デイサービスと違って、デイケアはリハビリを主軸に病院が経営されている場合が多いので
こちらも安心して預けることが出来ます。

デイケアに通うようになって、しっかりと朝ごはんも夕ご飯も食べてくれ、昔問題の根源だった飲酒もなくなり、ついでに彼女にとって欠かせなかった睡眠薬もとらなくなり、健康そのものになりました。
血液検査でも、先生から「優等生!」と褒められるほど!
長年患っていた腎臓も肝臓も治ってしまい、血圧も正常。
もしかすると、私より健康です(笑)

デイケアセンターに行ってることも大きいですが、内臓疾患が治ったのはおそらく認知症になったことと大きく関係していると思います。

本当、人間の身体っていうのは不思議。
どれだけ心と身体が繋がっているのか・・・
彼女を見ていると、心も体も患っていた昔と、色んな事忘れてしまったけれど心も身体も健やかな今と、どちらが幸せなんだろう・・・と思います。

認知症は明らかに進んでいますが、それでいいのかもしれない。

近頃の彼女を見ていると、そう思います。

| Care&Heal  -介護- | 07:46 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
死生観
 重いタイトルだ。

私はこの「死生観」という言葉、あまりピンとこない。

介護の先生が、「この仕事につくと死生観を問われている気がします。」と言っていたから、正直どんな風に問われるのだろうと不謹慎ながらも私はある種のわくわく感を持っていた。

今のところ、何も問われない。

初めて数ヶ月の身で何をえらそうに・・・・といわれても仕方ないのだが、とりあえず何も変わらない。


今までで一番しっくり来た「死」というものへの言葉は、池田晶子氏の本の中で見つけた。

「人間皆死ぬんです。生まれたから死ぬんです。これほど平等なことはない。
人間は癌で死ぬのでも心臓病で死ぬのでもない。
これらは死の条件であっても死の原因ではないのです。人間だから死ぬのです。
すべての人間の死因は生まれたことにあるのです。」

「どこか違いますかね?」

という池田嬢の言葉に、
思わず、

「いいえ、ごもっともですとも。」

頷くとともに、やたらでかい鐘の音がゴーーーーンと響いた。

こんな単純かつ明快な死への言葉に、死生観などというまどろっこしい表現は似合わない。

「生を粗末にする人間は、単純に死を知らないからだ。」



目の前で一人の人間が息絶えていく姿をこれまで二度だけ経験した。


一度目は小学校3年生のときだったが、今にして考えると、よく親や叔父叔母が私の入室を許してくれたなぁと。私はそれに今さらながら深く感謝している。
「子供には見せたくない。」という親だっているだろうに。

私には祖母が3人いると、いつかブログにも書いたが、血縁のつながりはない祖母が、実はいまだに私の人生において一番の影響力を持っているから不思議だ。
私にとっては母の次に、いや時には母以上に、愛おしく心を委ねることができた人だった。

その祖母の死に様は子供の私には衝撃が大きすぎた。
けれど、
「ばあちゃんらしい。」
子供ながらにそれだけは感じた逝き方だった・
吐血し心臓マッサージをうけ、体はボロボロのマネキンのようだったが、医者が施すマッサージの手を自ら阻止して彼女はすっと息を引き取った。

「とめないでー」
と泣き叫ぶ自分の姿を今でも思い出す。

さっきまで喋っていた人間がその瞬間にもうこの世からいなくなる、その不気味さ。
どうもこうも説明のしようのない寂しさ。
子供には消化しきれないあれやこれやで私はずいぶんと長い間意気消沈の日々を過ごした。

そういうあれやこれやをひっくるめて、その不気味さも切なさも寂しさも複雑に絡み合う自分の心とはかけ離れたところに、逝ってしまった祖母の姿がある、それだけが確実なことだった。


「人間が死ぬというのはこういうことか。」

どういうこと、なんてもちろん説明できないのだ。
そのあまりにも大雑把なことといったら・・・

けれど、この大雑把な感覚であっても感じることができた私はラッキーなのだと思っている。


私は、今のところ、死に様は確実にその人間の人となりを表す。
そう信じている。

その瞬間の人間の意志とは無関係に、死に様は人間の蓄積してきたものが如実に現れるものだと思っている。

呆けて死んだら人となりもなにもあったもんじゃないだろう、とも思っていたが、それは介護の仕事を始めて完全に覆され、その信念は一層強固になった。

呆けた方が、むしろより一層その人となりが顕著に現れるような気がしている。

隠していた優しさがこぼれ出る呆け方もあれば、隠していた意地の悪さがにじみ出る呆け方もある。

近頃、思うようになったのは、呆けるという行為は、それまで溜め込んだあらゆる感情を死が迎えに来るまでに出し切ってしまおう、という、いわば浄化作用に近いものであるのかもしれない・・・ということだ。

呆けは「病気」ではない。
「状態」だ。


なもんで、私は最近、自分が呆けるのが怖くなくなってしまった。

呆けようがなんだろうが、浄化して死んでしまえるのだったら、多少他人様に迷惑かけるかもしれないがそれもそれで大いにアリじゃね?って。



「死」は万人に平等だ。

でも「死に方」は平等じゃない。


ってことかな・・。




| Care&Heal  -介護- | 23:20 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
歌の力
今日は施設でハーモニカ演奏会の慰問があった。

故郷、黒田節、青い山脈、船頭小唄、等の懐かしい曲がハーモニカの美しい合奏に乗って皆さんの耳を潤した。

一人、また一人と涙を拭う姿に歌の力を思い知った。

どんな懐かしい曲を聞いても彼等の様に涙が直結することは私にはまだない。

人生の深さ

一曲一曲に秘められた彼等の青春

特に娯楽が少なかった時代。

歌の持つ力は今よりもっともっと大きかったのかもしれない。

じいちゃんから言われた今日の一言

『まだ湯気が立ってる赤ん坊やな』


・・・だな


| Care&Heal  -介護- | 22:49 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
将棋の師匠
私に将棋の師匠ができた。
施設にいる85歳のおじい様だ。

認知もそこそこ進んでいるのに将棋の腕はピカイチだ。

私なんて足元どころか小指の先っぼにも及ばない。

私の次の手をまるで初めから分かっているかのようにわざと遊ばせてくれる。

そして一手一手にアドバイスがつく。

「君は飛車を大事にしすぎる。」

ごもっとも!!!

私は飛車を守りすぎる。

飛車を大事にするあまりに肝心要の王将の守りが浅くなる。

初めは部屋に隠りがちなおじい様のリハビリにもなればという甘い気持ちだったがいやいやどーして私のリハビリだ(笑)

私には小さい頃からおじいちゃんがいなかったからこんな施設内でのおじい様方との戯れはとても癒やされる。

ところで

彼には恋心を寄せる人がいるという。
(ってか奥様が他のフロアにいるんですけど〜)

上のフロアで働いている笑顔が美しい女性とのこと。

私は先日初めて彼女と会った。

確かに笑顔がとても美しく可愛らしい雰囲気を持つお姉様だった。

つい昨日の事。
他のスタッフにある写真を彼に渡すようにことづかった。

その封筒を彼に渡すと
「お〜ちゃんと覚えていてくれたのか。よしよし。」
と嬉しそうに写真を取り出し私に
「見たいか?」
とイタズラっこのようにニヤリとしながら聞いてきた。

見せてもらったのはもちろん意中の女性の写真。

「良かったね〜。その写真は大事にしまっておくんでしょ?引き出しにいれとく?」

そう言ったらまたニヤリとこう言った。

「当分肌身はなさずもっとく。いつでも見れるようにさ。」

まるで初めて恋する中学生!


80過ぎてもこんなに純粋に人を想えるパワーって大事だな〜って思う。


見習わなきゃね...



| Care&Heal  -介護- | 13:50 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
介護のお仕事

老人ホームでの仕事が始まって一ヶ月。
仕事にもだんだんと慣れて、OL時代の懐かしい感覚を思い出したりしている。

担当するフロアは利用者10人。
こじんまりとした理想的な空間だ。

やることは朝から晩まで限りなくある。
掃除、リネン交換、着替え、排便・排尿の処理、食事の介助、口腔ケア、リハビリの手伝い・・・
とにかく常に立ちっぱなしの仕事だ。

先輩方は
「大変でしょ?きついでしょ?大丈夫?」
と気を使ってくださる。

けれど、そういわれるほど私は意外にきつくない。
強がりじゃなく真剣に感じる。

「精神的にダメージがあるでしょ?この仕事はストレスがたまるから・・・」

その言葉に私は正直とても戸惑う。

精神的ダメージは、英会話学校時代のほうが俄然大きかった。
○百万を毎月稼ぎ出さないといけなかった英会話学校のマネージャー時代は、毎晩午前様の体力的なきつさより、黒字に導かないといけないという精神的なプレッシャーが心をどんどん切り刻んでいった。
無論その分黒字経営に転じる時の喜びはひとしおだったけれど、実態のない売り物に対しての漠然とした不安感は常に持ち合わせていた。
生徒からの苦情なんてものは、ダメージとして換算するには取るに足らない程度のもので、クレーム処理後の和解こそこの仕事の醍醐味だったともいえる。

今のこの介護の仕事。
対象は違うが、利用者のご老人方が生徒のようなものだ。
「あんたはへたくそだな〜。」
「新人には頼みたくない。」
なんていう言葉、いわばクレームは、たいしたダメージを心に与えたりはしない。

だって、当たり前のことだからだ。
私が彼らでも同じことを言うだろう。
新人にお願いなんてしたくない。
ベテランがいいにきまっている。

母親を介護するのと違い、初めからすでに認知症の方々を介護するのは目を覆うほどのショックもないし、「こんなもんか。」とすませれることでもある。
便失禁されたら確かに臭いけど(笑)臭さ以上のダメージはないのだ。
親だと、ここにショックが加わり、どーもこーも一筋縄ではいかない心境になるが、そういうこともない。

体力的にはきついが、精神的ダメージは限りなく少ない。

おむつを取り替えながら、つくづく人間は「オムツで始まり、オムツで終わるんだな。」と妙に納得したりして、それが非常に感慨深かったりするのだ。

私の介護技術はひよっこもひよっこ。
卵が孵化したばかり。
稚拙で煩雑。
おむつの取替えひとつでさえ一仕事だ。

でもおそらく月日がそれをまともにしてくれるんだろうという勝手な希望を持っている。

これまでの人生で私に足りなかった部分を、この仕事はたくさん教えてくれる。

男と女で分けるなら、この仕事は限りなく女の仕事だ。
仕事そのものが、ほとんど家事そのものだからだ。
スタッフに主婦が多いのがうなづける。

シーツの替え方ひとつ、掃除機のかけ方ひとつ、すべてにコツがあり、目配り気配りが必要だ。
お茶の温度も、利用者それぞれ好みが違うし、好みのカップだって違う。
そういう諸々を常に把握する必要がある。

母の仕事だなぁと思う。

私がこれまで携わってきた仕事は、というか、私のやり方なのかもしれないが、ことごとく男性よりだった。
どんぶり勘定で結果丸く収まればそれでいい、そういう気持ちでやってきた。
備品の消しゴムをいつもより20円高く購入したって、それ以上に稼げば済む話だろう・・そんな方針で学校を運営していたし、ヨガにしたって〔私〕という媒体をいかにうまく引き出せるかがテーマだった。

男の仕事というのは、身を削りながら生み出す。
その働く男の苦悩というのが、皮肉にも私には痛いほどわかる。

けれど、家庭はそんなやり方じゃうまくいかない。

なぜなら母は倒れてはいけないからだ。

家庭を守るということは、適度に心のアンテナを出し入れすることだ。
常にアンテナを張りっぱなしじゃ体がもたない。
かといって、気配り目配りするアンテナは立っていないといけない。
わが身を削りすぎては家庭はにっちもさっちもいかないのだから、適度な力の抜き加減が大切だ。

この仕事にはノルマもなければ生み出す苦悩を味わうこともない。
ただ淡々と、そう、まさに淡々と、懇切丁寧に一つ一つの仕事をこなしていけばいい。
一つ一つの作業にあ〜だこ〜だの理屈はいらない。
逆にいちいちそこに理屈をつけていたら、身が持たない。

家庭に入っていた女性には実に簡単と思われるこれらの仕事が、私にはえらく新鮮なのだ。

介護の仕事は私がこれまで経験してこなかった未知の場所に連れて行ってくれる。
私に欠落していたパーツが笑えるほど見つかる。

今はそのパーツが一つ一つカチンと音をたててはまっていくのが面白い。


これまであまり接点がなかったパートのおば様たちとのトークも面白い。
決して特殊ではない、ごく一般的な世情がとてもつかめる。


もちろん、ヨガとも深くつながっていく。

目の前の老人達が施設内でストレスなくすごせる環境を整えていくのが介護の仕事だが、この100%裏方の仕事が私にまざまざと見せてくれるものは人間の姿そのものだといっていいかもしれない。


ほとんどの1日を孤独に部屋で過ごす彼らがいる。面会者だってほとんどいない。
一日ベッドの上で見てもいないTVをつけ、ただぼーっと時間が過ぎるのを待っている人もいる。
私はそこに可哀相なんていう同情の気持ちは持ちたくない。
そんな気持ちを持つことさえとても失礼に感じる。
彼らは生まれ、学び、働き、子孫を残し、育て、自立させ、一連の人間がなすべき大事な仕事を完全に済ませている、ただそれだけなのだ、と思う。
一連の人間としての業務をひとしきり終え、彼らは子供に戻っていっただけなのだ。

あ〜なんて動物的なんだろう。
やっぱり人間は動物だ。

この人たちも若いころはあくせく人間関係を構築し、働き、遊び、社会の中に自分の存在を表現していたのだろう。
けれど、子供もそれぞれの家庭を持ち、友人たちも一人また一人と天国へ召されている今、彼らを必要としている人の存在さえあやふやだ。

彼らはとても孤独だ。

でも、孤独なのは彼らだけじゃないことを、彼らが見せてくれるのだ。

私達もやっぱり孤独なのだということを。


私は、以前、人間どう生き、どう死ぬか・・なんて偉そうなことをよく考えていた。

けれど、この仕事を始めて、私はそんなこともどーでもよくなってしまった。

何が起きても、起きなくても、死に行く姿はそうそう大差はないだろう。

それならば、自分がこれだと思う道をただ歩けばそれでいい。

仕事できるうちに仕事をし、笑えるうちに笑い、食べれるうちに食べ、お洒落できるうちにお洒落をし、愛を伝えたい人間がいるうちにその言葉を伝え、やりたいことがあるうちにやりたいことをやればいい。



「一生懸命いきたらそれでいい。」



私はそんなメッセージを彼らからもらっている。


| Care&Heal  -介護- | 04:29 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
終了証明書
090502_0813~0001.jpg
昨日はヘルパー二級講座の卒業式だった(笑)
たかだか1ヶ月そこらの講座に卒業式なんて大袈裟っぽいがこれが意外にも感慨深かった。
ジーンときた。

来ている人はみんな社会人だしそれぞれに何かしら背負ってこの講座を受けている。
彼らの熱意や心意気はチャランポランに流れで受けたよーな私にはとても刺激的だったし学ぶものも多かった。
みんな一生懸命生きているんだな〜と当たり前の事を当たり前に感じた1ヶ月だった。

さてさて次の段階は就職活動。

当初頭の端っこにも引っかかっていなかったけれど皆の熱心な活動話しを聞いてるうちにパートで週2〜3回ならやってみようかという気になった。

実地研修での利用者の方々の暖かい眼差しにすっかり魅了された私。

やっぱり何でも現場が楽しい。


今朝早速久々の履歴書を作った。

改めて見ると私の履歴は・・・

笑える(笑)



| Care&Heal  -介護- | 08:29 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
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