先週末の土曜に、四十九日法要を無事終えた。
これを持っていわゆる忌明けとなった。
本当の四十九日は9月2日だが、平日の為に前の週末に繰り上げとなった。
知らなかったのだが、法事っていうのは、早まるのには問題ないが遅れるのはダメらしい。
だから、本当の忌明けはあと二日。
この法要をひとつの区切りとして、この40日やってきた。
住職さんからも
「四十九日っていうのは不思議なもんで、この日までにどーにかこーにか
ある程度一応の形に納まっていくもんなんですよ。まぁ全てが納まるには
一回忌まではかかるでしょうが、、、、」
確かにその通りかもしれない。
なんとか先が見えてきて、こうやってブログ書いてるあたり、私にも少しだけ余裕がでてきたという
証なのだろう。
この日までのスケジュールというのは、葬儀やさんがくれる「葬儀後の手続き」という冊子に
のっている。
「いついつまでにあれこれ・・」
と丁寧に書かれてあって、何も知らない私はただその通りにやってきた。
余り深く考えず、ただ淡々とこなしてきた。
早かった。
・・・でも長かった・・・。
先週からは遺品整理、形見分けを始めた。(そういう事も冊子にちゃんと書いてあるのだ。)
法要に来れない方や友人や、、、、日々誰かしらが来てくださっていて、
父の思い出にと持ち帰って下さる時の嬉しさっていうのはなんとも表現しがたい。
父は時計やら財布やらの高級なものに全く興味がなかったので、形見分けできるのは
唯一父が誇らしげにコレクションしていたネクタイと、ここ数年でやたらに増えたと思われる
洋服位なもの。
洋服に関してはまだ袖を通していないものも結構あったりして、整理しながら
「おいおい、買いすぎだろ・・!」とつっこんだ。
逝く二日前にも「ハワイに行くときに着ようと思って頼んだんだ。」と通販で頼んだ
ジャケットが届いた。
そんなまだ新品同様の洋服達がただたんすの肥やしになるのはとてももったいない。
サイズと趣味が合えばぜひ着てほしい、そう願いながら父が居るリビングに飾っている。
一昨日は私の友人、今日は父の同僚が、ネクタイを持って帰って下さった。
私が持つ父の形見はハワイで買ったアロハシャツ。
よく似合ってた。
だって私が選んだんだもん(笑)
これだけで十分。
遺品整理っていうのは、感情入れていたら出来るもんじゃない。
ただ淡々といるもの、いらないものを分け、いらないものは処分していく。
・・・とはいっても、途中、何度も昔の父の姿が浮かびこみあげるものがあったけれど・・・
母はこういう作業をしている私に余りピンときていない。
というより、全く関与していない。
母は母なりにどーにか毎日やり過ごすことで精一杯なのだと思う。
近頃、少し認知が進んだ。
朝ごはんを食べても、そのことを昼には忘れていて
「あゆちゃん、朝食べていないからお腹すいたわ。」
と言う。
「食べたじゃない。」と言うときょとんとして寂しそうな表情を浮かべる。
そういう時、なんだかとってもやるせなくなるのだけど、出来るなら全部忘れてしまいたい
という奥底に佇む母の欲求がわかるだけに私はただそれを受け入れるしかない。
朝ごはんを忘れるよりも、本当は父が亡くなったことを忘れたいのだろうから・・・
この数十日は、あらゆる作業をこなしていくと共に、父の歴史をたどる数十日でもあった。
父の歴史をたどると同時に、父の魂が私に宿って私を動かしてくれたような気がする。
面識のない方々との手紙や電話でのやり取りは、私という媒体を通して父が彼らに
話しかけている時間のようでとても不思議だった。
法要には、父の大切な友人たちが数名関西から来てくださったのだが、
それもこれも、父が残した一冊の手帳を通してのやり取りがあってこそだった。
大袈裟な法事ではなくごくこじんまりとしたものだったが、父は喜んでくれたような気がしている。
法事が終わったら、それまでのバタバタとした準備に追われる事がなくなってしまい、
「日常ってどんな風に過ごすんだっけ?」
といった腑抜けの状態に一瞬なりそうだったけれど、
ここはさすが8か月のそだちざかりの娘!
「あたいの世話で暇なしよ〜」と手を焼かせてくれ、
「あ〜そうだった、そうだった!」と腑抜けから早くも脱出させてくれた。
それに加え、家事、母のお世話なんかも加わるとあっという間に1日は過ぎる。
ここでふと気がついた。
もし、残務処理や法事の準備なんかをする必要がなく、父の死去後、ただ私、母、娘の三人の日常生活にポンと置かれたていたら、喪失感、空虚感はもちろん、父のサポートが減った分の負担に
もう心は折れていたかもしれない。
この数十日間、今まで味わったことのない多忙極めた毎日を過ごしてきたおかげで
日中寂しさを感じる暇もなかったし、日常の忙しさに身体が慣れてくれて、普通なら大変だと
感じるだろう今の生活がむしろずっとベターな状態だと思わせてくれている。
昔は、何のためにやるんだろう?と思っていた仏事等のあれこれが、
なるほど、よくできてるものだなぁ・・・と救われる想いで満たされている不思議さ。
絶妙なバランスで整うようになっているのだから・・・・。
さぁ、我が家はこれからどうなっていくのだろう・・・・
不安が微塵もないといえば大ウソだけれど、
まぁどうにかなるかなって感覚の方が多少上回っている。
父がついてる。
7日ごとに閻魔様からのお裁きを受け天国に一歩一歩近づいているはず?!の父
少しずつ物理的な距離が離れるにつれて
父の存在感はおかしいほどに身近になっていく
死人に口なし
なんて嘘っぱち
死人はしゃべる
生きている時よりもずっと深い部分に響かせながら