あっ!!!!!っていう間に終わってしまった、八重山の旅。
途中、父から「帰って来い」コールがかかり、すったもんだあったけれど、どうにか予定通りに旅は進み、昨晩帰福。
父は私と入れ違いで大阪へ旅立ち、そして祖母は天国へ旅立った。。
長旅ができない母と私はお留守番。
祖母と私はよく似てる。
父はよく私にそういう。
母にも父にも顔があまり似ていない私だけど、確かに私の顔のつくりはずっと祖母寄り。
私が祖母を思い浮かべるとき現れるのは、
淡々としているものいい
軽やかな着物姿
長い髪を結う姿
特製のキムチと肉マンを作る姿
そのすべてはとても気持ちがいい。
けれど父が思う祖母の姿は、おそらく私とは違う。
父がまだ幼い頃、祖父と別れ祖母は4人の息子を置いて家を出て、それからはずっと女一人で生きてきた。
父達兄弟の生活はそこから一変し食べるものもままならないような日々が高校まで続いたらしい。
大学からは祖母からの援助があり、疎遠だった二人がやっと近づいたけれど、多感な頃に感じた祖母への歪んだ感情は簡単には解放されなかったんだろう。
父が祖母に話しかけるときはいつもけんか腰だった。
小さい頃から、私はそれがとても不思議だったし、祖母が可哀想に思えてならなかった。
でも祖母がそんな父の態度に反発したことは一度もない。
いつも笑いながら「そうね、そうね」と返すだけ。
私だったら、あんな言い方されたらきっと我慢ならなくて怒りが湧き上がるに決まってる。
今ならなんとなく祖母の気持ちもわかる気がする。
すまなかった、申し訳なかった、という懺悔の想いは消えることがなかったんだろう。
毎月、送られてきていた祖母からの荷物には、父の大好きなキムチや佃煮がきれいに小分けされて入っていた。
「いまさら」と思われても、祖母にはその「今」しかなかったんだ。
父も年をとった。
祖母が入院してからの父は、月に一度も二度も大阪へ足を運ぶようになった。
しゃべることもできなくなって初めて、父は祖母への優しさや愛情を父自身認識できるようになったみたいに。
「あんなのは母親とは呼べない」
いつもそういっていたけれど、先日電話先で声をあらげて
「死に目に会いたいからかえって来い」といった父は明らかに祖母を母親だと思ってる。
4年前に一人で祖母の家に行ったとき、あんな気丈な人が涙をこぼした。
「貴方がきてくれるなんて思ってもいなかったよ。ありがとう。ありがとう。」
そういって、見えなくなるまで手を振って見送ってくれた。
私も祖母に会いたかった。
けれど、父さえ会えていたらいいんじゃないか。
なんかそう感じる。
だって祖母が一番会いたかったのは、やっぱり父だったはずだから。